- 英語版 The Little Prince の難易度と2つの翻訳版の違い
- 著者サン=テグジュペリの人生が物語に与えた影響
- 「大切なものは目に見えない」というテーマの構造と英語表現
- 英語ネイティブが何に泣いて、何が引っかかったか
- 日本語版を読んだ人が英語版で発見できること
「お願い、ヒツジの絵を描いて」。この一文から始まる物語を、日本語ではなく英語で読んだとき、何かが変わるだろうか。
結論から言うと、変わります。しかも思っていたより深いところで。
『星の王子さま』を英語版(The Little Prince)で読むことは、単に語学学習ではなく、もともとフランス語で書かれた物語が「英語という第三の言語」を経由することで、どんな質感を持つのかを体験することでもあります。そしてその体験は、日本語版を読んだことがある人ほど面白い。
この記事では、英語版 The Little Prince を実際に読んだ感想をベースに、難易度・名言解説・翻訳版の選び方・英語ネイティブの視点をまとめました。日本語版で「よく分からなかった」という方にも、テーマの解説から丁寧に書いています。
「The Little Prince」 Antoine de Saint-Exupéry 著
そもそも、なぜ英語版で読む必要があるのでしょうか。
この小説はもともとフランス語で書かれた作品です。「英語版」とは、フランス語原文 Le Petit Prince の英語翻訳版のこと。日本語版もまた、フランス語からの翻訳です。つまり、英語版でも日本語版でも「原文は読んでいない」という意味では条件は同じです。
それでも英語版を読む理由はいくつかあります。まず、英語は世界で最も翻訳の選択肢が豊富で、著名な翻訳者による複数のバージョンを読み比べる楽しさがあります。また、英語圏の読者が世代を超えて愛してきた作品を「彼らが読んでいる形で」体験できる。そして、英語多読の観点では、詩的でシンプルな文体が日本人学習者にとって非常に取り組みやすい良質な教材になっています。
| タイトル | The Little Prince(英語版)/ Le Petit Prince(フランス語原文) |
|---|---|
| 著者 | Antoine de Saint-Exupéry(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ) |
| 初版(英語・フランス語同時) | 1943年4月、ニューヨーク(Reynal & Hitchcock) |
| 主な英語訳 | Katherine Woods 訳(1943年) / Richard Howard 訳(2000年、Mariner Books) |
| 累計部数 | 1億4000万部以上(推定) |
| 翻訳言語数 | 600言語・方言以上(2024年11月時点・Wikipedia) |
| ページ数 | 約100ページ(英語版) |
著者サン=テグジュペリの人生を知ってから読むと、この物語の見え方がまるで変わります。
サン=テグジュペリは1900年、フランス・リヨンの貴族の家に生まれました。4歳で父を亡くし、17歳のときには弟フランソワをリウマチ熱で看取ります。作中で王子さまが倒れるシーンの描写、「若い木が静かに倒れるように」というくだりは、この弟の死の記憶から来ていると言われています。
飛行への情熱を持ち、軍から郵便飛行のパイロットへと転身。アフリカや南米の郵便飛行ルートを切り開きながら、その経験をもとに作品を書き続けました。1931年には作家・芸術家のコンスエロ・スンシンと結婚します。二人の関係は激しく、複雑なものでしたが、コンスエロは作中の「バラ」のモデルとして広く認識されています。
1935年12月、パリ〜サイゴン間の速度記録に挑んでいたサン=テグジュペリは、ナビゲーターとともにリビア砂漠に墜落します。2人はほぼ無傷で生き残りましたが、補給はわずかな食料と水だけ。4日間、砂漠をさまよった末に、通りかかったベドウィンに発見され命をつなぎました。
この体験は1939年の回想録に書かれ、のちに The Little Prince の舞台設定(パイロットがサハラ砂漠に不時着し、不思議な男の子と出会う)に直結します。実体験が物語の骨格になっているわけです。
ナチス・ドイツによるフランス占領後、サン=テグジュペリはポルトガル経由でアメリカに亡命。ニューヨークで1942年中頃から執筆し、1943年に英語版とフランス語版を同時出版しました。故郷を失った亡命者として書かれたこの作品が「愛と喪失、別れと帰還」の物語であることは、偶然ではありません。
1944年7月31日、サン=テグジュペリはコルシカ島から偵察任務でLockheed P-38に乗り込み、そのまま消息を絶ちました。王子さまと同じように、彼も「姿を消した」のです。
- 砂漠に不時着したパイロット → 1935年のリビア砂漠墜落体験
- わがままで美しいバラ → 妻コンスエロ・スンシンがモデルとされる
- バオバブの木(星を侵食する脅威) → ナチズム・ファシズムの比喩(ヴィシー政権はこの本を禁書にした)
- 王子さまが姿を消す結末 → 著者自身の失踪と重なる
この物語は語り手である「パイロット(僕)」の視点で進みます。王子さまが語り手なのではありません。この点を知ってから読むと、終盤の「別れ」の哀しさが一段と深く感じられます。
子どもの頃、絵を理解してもらえず画家になる夢を諦めたパイロットは、ある日サハラ砂漠に不時着します。水は残りわずか。そこに一人の少年が現れ、こう言います。「お願い、ヒツジの絵を描いて」。
少年は、パイロットが子どもの頃に描いた「ゾウを飲み込んだウワバミ」の絵を正しく読み取ります。大人たちには帽子に見えていたあの絵を。パイロットは「ようやく分かってくれる人に会えた」と感じます。
王子さまは小さな自分の星から旅に出て、地球に来る前に6つの星を巡ります。
| 星の住人 | 執着しているもの | 王子さまの感想 |
|---|---|---|
| 王様 | 権力・支配 | 「それって何が楽しいの?」 |
| うぬぼれ屋 | 名声・賞賛 | 「意味が分からない」 |
| 飲んだくれ | 快楽(恥を忘れるため飲む) | 「悲しい人だな」 |
| 実業家 | 財力・所有 | 「役に立たないなあ」 |
| 点灯夫 | 仕事(命令に従うだけ) | 「この人だけは好きかもしれない」 |
| 地理学者 | 学問(でも何も知らない) | 「地球に行ってみなよ」 |
王子さまが唯一好感を持つのは点灯夫です。理由は、「自分以外のために働いている唯一の人物」だから。ここに、作者の価値観がさりげなく込められています。
地球で王子さまは5000本のバラが咲き誇る庭を見て衝撃を受けます。「自分の星にしかない、唯一のバラ」だと思っていたのに。
そこでキツネが言います。
"Men have forgotten this truth. But you must not forget it. You become responsible forever for what you have tamed. You are responsible for your rose."
「なつかせる(tame)」とは、絆を築くこと。一匹のキツネも一本のバラも、時間と手間をかけることで「世界でたった一つの存在」になります。5000本の見知らぬバラより、自分が水をやり、話しかけ、守ってきたあのバラが特別なのです。
王子さまは地球に来て1年が経ったことを告げ、星に帰ると言います。でも、体は持ち帰れない。そこで最初に出会ったヘビに頼んで、毒で体を手放します。翌日、パイロットが戻ると、王子さまの姿はどこにもありませんでした。
ただの砂漠だった景色が、どこか王子さまがいるかもしれない砂漠に見えた。その最後の一文に、この物語の全てが詰まっています。
この物語のテーマは一言で言うと、「大切なものは表面的には見えてこない」ということです。しかしこれは単なる精神論ではなく、物語の構造全体を貫くルールとして機能しています。
最初の「ゾウを飲み込んだウワバミ」の絵は、このテーマの宣言です。大人には帽子にしか見えない。でも王子さまには、中にゾウがいることが分かる。表面だけを見る大人と、本質を見る子供。この対比が物語全体を走るテーマです。
6つの星の住人たちはみな、表面的に見えるもの(権力・名声・お金・数字)に執着しています。それ自体は「大切なもの」ではないことを、王子さまは本能的に知っています。唯一点灯夫に好感を持つのは、彼の仕事が「目に見えない誰かのため」になっているからです。
5000本のバラは表面的には美しい。でも王子さまは「君たちのために死ねない」と言います。自分のバラは「水をやった時間」「ガラスのカバーで守った時間」「喧嘩した時間」の積み重ねで特別な存在になった。その関係性は目に見えません。
砂漠が美しいのは、どこかに井戸があるから。夜空が美しいのは、星の向こうで王子さまが笑っているかもしれないから。どちらも、表面的には「ただの砂」「ただの星の集合体」です。でも見えないものを知っている人には、全く違う景色に見えます。
英語の文章自体はシンプルです。対話が中心で、長い複文も少ない。語彙も難しくありません。ただ、比喩と哲学的なメッセージが多いため、「英語が読めても意味がよく分からない」という声は多く、TOEIC 500〜600点以上あれば語彙的には問題ない一方、内容の理解には日本語でのあらすじ把握が助けになります。
英語版には主に2つの翻訳があります。これが意外と見落とされがちなポイントで、実はかなり印象が変わります。
| 翻訳者 | Katherine Woods 訳(1943年) | Richard Howard 訳(2000年) |
|---|---|---|
| 特徴 | 詩的で格調ある文体。フランス語の雰囲気を残した「古典的名訳」 | より自然な現代英語。読みやすくストレートな表現 |
| 向いている人 | 英語文学として味わいたい人、英語上級者 | 英語学習者、初めて読む人、現代的な読み心地を求める人 |
| 入手方法 | 絶版のため研究社の日英対訳版などで読める | Amazon等で「Mariner Books」版として流通中(標準版) |
| 有名な一節 | "It is only with the heart that one can see rightly"(詩的) | "One sees clearly only with the heart"(簡潔) |
初めての英語版に挑戦するなら、Woods訳の方が英語としての詩的な美しさがあり、読みやすいです。
以下はすべて英語版(主にKatherine Woods 訳 / Richard Howard 訳の比較含む)で確認した表現です。
"It is only with the heart that one can see rightly; what is essential is invisible to the eye."
— Katherine Woods 訳
"One sees clearly only with the heart. Anything essential is invisible to the eyes."
— Richard Howard 訳
同じ一節でも、訳によって文体が変わります。Woods 訳は "It is only with the heart that..." という強調構文で格調があり、Howard 訳は "One sees clearly only with the heart" とシンプルです。英語学習の観点では、強調構文 "It is ~ that ..." の自然な使われ方として Woods 訳が参考になります。
"You are beautiful, but you are empty. One could not die for you."
バラ園を前に王子さまが言う、作中で最も切ないセリフの一つです。"empty"(空っぽ)という一語が「表面的な美しさ」の本質を突きます。そして "die for you"(あなたのために死ねる)という表現。これが愛の深さを測る言葉として機能しているのが、英語で読むとより明確に感じられます。
"You become responsible forever for what you have tamed. You are responsible for your rose."
「なつかせた(tamed)ものに対して、あなたは永遠に責任を持つ」。この一節を英語で読むとき、"responsible for" という前置詞の重みがずっしりと感じられます。日本語の「責任がある」より、英語の "responsible for" の方がより個人の選択と義務の感覚を含んでいる気がするのは、英語で読んで気づいたことの一つです。
"What makes the desert beautiful is that somewhere it hides a well."
"hides a well"(どこかに井戸を隠している)という動詞の選択が巧みです。砂漠が「持っている」のではなく「隠している」。秘密があるから美しい、という感覚が "hides" 一語で表現されています。
| 表現 | 意味 | 使われ方 |
|---|---|---|
| to tame | なつかせる・絆を築く | キツネが王子さまに教える核心概念。フランス語原文は "apprivoiser" |
| ephemeral | はかない、一時的な | 地理学者がバラについて「儚いものは記録しない」と言う場面で登場 |
| conceited | うぬぼれた | 2番目の星の住人「うぬぼれ屋(The Conceited Man)」の説明で使われる |
| vain / vanity | 虚栄心の強い・虚栄 | バラの性格描写に繰り返し登場する重要語彙 |
| tedious | うんざりする・退屈な | "it's rather tedious to have to explain things to grown-ups" という王子さまの台詞で使われる |
正直に言うと、わたし自身もこの本を子どもの頃にちゃんと読んでいませんでした。タイトルは知っている、表紙も見たことがある。でも「読んだ」とは言えない状態のまま大人になって、英語多読をはじめてから初めて英語版で通して読みました。
読み終わったとき、「たった100ページちょっとなのに、なんでこんなに重いんだろう」と思いました。子どもの頃に読んでいたら、たぶんここまで刺さらなかった。大人になってから読むから、6つの星の住人たちが全員「他人事じゃない」と感じられる。英語版で読んだことで、日本語版と少し距離が生まれた分、かえって物語に入り込めた気がしています。
個人的に、「キツネのシーン("tame" の概念を教えるくだり)」が好きです。
キツネが言います。「今の君は、100万人の子どもと同じ、ただの小さな男の子。でも、もし君がぼくをなつかせたら、ぼくには君が世界で唯一になる。君にもぼくが唯一になる。」この「時間と手間をかけることで唯一になる」という論理は、英語で読んでも、フランス語で読んでも、日本語で読んでも、同じように胸に刺さります。
そして、「大人描写への批判として読むと、自分が刺さる」という感想でしょうか。
作中の大人たちが問うのは「何歳?」「兄弟は何人?」「体重は?」「お父さんの給料は?」。そういう「数字で測れるもの」しか聞かない。個人的に、有罪判決を受けているというか、図星だと思えてしまうシーンがいくつもありました。読んでいる自分が大人である以上、そのまま自分への批判として受け取れる。それがこの作品の痛さです。
- 100ページで終わる:英語長編に不安がある人でも読み切れる。むしろ短すぎて「もっと読みたい」と感じる
- 繰り返し読むたびに変わる:10代で読む体験と、大人になってから読む体験が全然違う。年齢によって刺さる場所が変わる本
- 著者の人生を知ってから読むと別の物語になる:コンスエロとのバラの関係、砂漠体験、そして消息を絶った結末。知った上で読むと重みが全く変わる
- 英語表現が美しく実用的:シンプルなのに詩的で、英語多読の入門書として完成度が高い
- 「よく分からない」まま終わることがある:テーマを知らずに読むと「ただ王子さまが来て去っていった」という印象で終わりやすい。テーマ解説を事前に読んでから読む方が、初読の体験が豊かになる
- 王子さまの死の解釈が人によって割れる:「帰った」と読むか「死んだ」と読むかは、どちらも正解でどちらも不正解。この曖昧さが好きな人と、もやもやする人に分かれる
- 短すぎて説明不足に感じることも:100ページという短さゆえに、キャラクターへの感情移入が十分に育つ前に終わる、という英語ネイティブの指摘もある
- 洋書を初めて読む人:100ページ・シンプルな英語で「読み切った」体験が得られる
- 日本語版を子どもの頃に読んだ人:大人として改めて英語で読むと、全く別の体験になる
- TOEIC 500〜700点の英語学習者:難しすぎず簡単すぎず、美しい英語表現を学べる
- 村上春樹・カフカなど「哲学的な物語」が好きな人:同じ「表面と本質」のテーマが貫かれている
サン=テグジュペリはこの作品を書き終えた翌年、消息を絶ちました。「王子さまが帰った星」を、著者自身も追いかけるように。この物語が時代を超えて読まれ続ける理由の一つは、その余韻にあるのかもしれません。
