ジョージ・オーウェルの1984のようなディストピア小説を読んだことがある人は多いと思います。でも、あれはフィクション、作り話です。今回紹介する本が本当に恐ろしいのは、まったく同じような世界が、フィクションではなく100%現実として描かれていることです。
石川正治(Masaji Ishikawa)の《A River in Darkness: One Man's Escape from North Korea》。Kindle Unlimitedでやたら評判が高くて、月額の範囲で無料で読めるのでなんとなく手に取ったのですが、これがとんでもなかった。北朝鮮という、世界でも指折りの過酷な場所で実際に起きたことの記録で、久々に一気読みしてしまいました。そして調べていくうちに、この本には日本語の原書が別の名前で存在する、という意外な事実にもたどり着きました。
本書は、北朝鮮で36年間を生き延び、命がけで脱出した一人の男性の回想録です。ただ悲惨な現実を告発するだけの本ではありません。どんな環境でも人は生き抜けるのだという、生存の記録でもあります。著者の文章はとてもシンプルで、飾りがないぶん、かえってリアルに刺さってきます。
| 著者 | 石川正治(Masaji Ishikawa) |
|---|---|
| ジャンル | ノンフィクション・回想録(北朝鮮帰国事業) |
| 英語版 | 2018年、Amazon Crossing。ニューヨーク・タイムズのベストセラー |
| 日本語原書 | 北朝鮮大脱出 地獄からの生還(新潮OH!文庫、2000年。後述) |
| 読みやすさ | 英語は平易。重いテーマだが文章は明快 |
著者の石川さんは、川崎で生まれ育ちました。父が朝鮮出身、母が日本人のハーフです。1960年代、北朝鮮は大規模なプロパガンダを展開していました。北朝鮮は地上の楽園だ、教育も医療もすべて無料、仕事も家ももらえると。石川さんの父はその宣伝を信じ込み、家族全員を連れて北朝鮮へ渡る決断をします。当時、石川さんはまだ13歳の少年でした。
しかし、船が北朝鮮の港に着いたその瞬間、彼らは騙されたと気づきます。そこは楽園などではなく、地獄の始まりでした。これがいわゆる帰国事業(北朝鮮帰還事業)の現実で、多くの在日コリアンとその家族が、同じように楽園の幻想を信じて海を渡りました。
彼らを待っていたのは、ひどい差別と貧困でした。日本から来た帰国者は、北朝鮮の身分制度の中で一番下の階層に置かれ、常に当局に監視され、まともな仕事も与えられません。
何よりつらいのは飢えです。まともな食べ物はなく、雑草を抜き、木の皮を剥いで飢えをしのぐ日々。周囲では、昨日まで生きていた隣人や幼い子どもたちが次々と餓死していきます。人間としての尊厳が存在しない世界で、石川さんはこの環境を36年間も生き延びることになります。本書を読むと、帰国者の中にも日本の親族から仕送りがある裕福な層と、身寄りのない極貧層の差があったことなど、外からは見えない帰国事業の光と影が浮かび上がってきます。
そしてついに、彼は脱出を決意します。北朝鮮に残す家族を思いながらも、単身で中国との国境を流れる川を目指します。
この川を渡る場面は、読んでいて本当に息が止まりそうになります。国境警備隊に見つかれば、その場で射殺されるか、生きて戻れない強制収容所に送られる。その極限の恐怖と激しい流れの中を、彼は命がけで渡るのです。奇跡的に中国へ逃れ、最終的に日本への帰国を果たします。ただ、日本に戻った後も平穏が約束されたわけではなく、北朝鮮に残した家族へ援助もできず、連絡も途絶えていく。脱出が必ずしもハッピーエンドではない、という余韻が重く残ります。
ここが、この本を調べていて一番驚いた点です。英語で書かれた本書ですが、レビューを見ても日本語版は見つからないという声が多い。ところが実際には、日本語の原書が存在します。
英語版は日本語からの翻訳で、その元になったのが《北朝鮮大脱出 地獄からの生還》(新潮OH!文庫、2000年)という一冊。当時、著者は身の安全を考えて宮崎俊輔という偽名を使っていました。後に本名の石川正治名義で英語版が出版された、という経緯です。内容は同じく、地上の楽園は生き地獄だった、36年間の抑圧と差別と飢餓を極秘帰国後に語ったレポートで、国立国会図書館にも所蔵されています。
日本語で読みたい人はこちら(北朝鮮大脱出 地獄からの生還)
英語版にはオーディオブック版もあります。重いテーマなので、活字で一気に読むのがつらい人は、通勤や家事の合間に耳で少しずつ進めるのも一つの方法です。Audibleは初回登録で1作品を無料で聴けるので、まず冒頭だけ試してみるのもおすすめです。
Audibleを無料で試すこの本が伝えてくるのは、私たちが今どれだけ恵まれた自由な世界に生きているか、という当たり前で忘れがちな事実です。そして、北朝鮮のプロパガンダの裏で、今もどれだけの人が苦しんでいるか。1984を現実にしたような国が、隣にあるという重みです。
重いテーマですが、読後感は不思議と絶望だけではありません。これだけの地獄を生き延びた人が現実にいた、という事実そのものに、なぜか勇気づけられます。英語も平易なので、洋書のノンフィクションに初めて挑戦する人の一冊目としても向いています。
総合評価
(文句なしの満点)
ここ数年で読んだノンフィクションでも、特に忘れがたい一冊。Kindle Unlimitedで無料で読めるうちに、ぜひ手に取ってみてください。
- 1984などのディストピア作品が好きで、現実の重みを知りたい人
- 北朝鮮や帰国事業の実態を、当事者の肉声で知りたい人
- 絶望的な状況を生き抜くサバイバル記録に惹かれる人
- 洋書ノンフィクションに挑戦したい人(英語は平易です)
- A River in Darknessに日本語版はありますか
- あります。英語版の原書にあたる《北朝鮮大脱出 地獄からの生還》(新潮OH!文庫、2000年)が日本語版です。当時の著者は宮崎俊輔という偽名で出版していました。新刊での入手は難しいので、中古を探すのが確実です。
- 英語版はKindle Unlimitedで読めますか
- 執筆時点では読み放題の対象です。月額会員なら追加料金なしで読めます。対象は変わることがあるので、購入前にKindleページで読み放題マークを確認してください。
- 英語のレベルはどのくらいですか
- 平易で読みやすい英語です。難解な単語や凝った構文は少なく、テーマの重さに反して文章自体はとても明快。洋書ノンフィクションの入門にも向いています。
- オーディオブック版はありますか
- あります。英語版の朗読オーディオブックがあり、Audibleなどで聴けます。重い内容を少しずつ受け止めたい人には、耳で聴く方法も合います。
《A River in Darkness》は、フィクションでは決して描けない現実の重みを持った一冊でした。地上の楽園という嘘に騙されて海を渡り、36年の地獄を生き延び、命がけの川渡りで脱出する。そのすべてが実話だという事実が、どんなディストピア小説よりも胸に迫ります。
英語版はKindle Unlimitedで無料、日本語で読みたいなら原書の《北朝鮮大脱出 地獄からの生還》。どちらの形でもいいので、一人でも多くの人に読んでほしい。読み終えたあと、当たり前の自由のありがたさが、まったく違って見えるはずです。
