「はらぺこあおむし」を、大人になってからちゃんと読み返したことはありますか。
先日、子どものころに何度もめくったあの絵本の展覧会に行って、私は不意打ちを食らいました。ただカラフルでかわいいだけだと思っていたあの一冊が、実は「希望」という、とてつもなく大きなテーマを抱えた物語だったと気づいたからです。
まずは、絵本そのものをおさらいします。はらぺこあおむしは、アメリカの絵本作家エリック・カールが1969年に発表した作品です。日本では1976年に偕成社から、もりひさしさんの訳で出版されました。つまり2026年で、日本語版はちょうど50周年になります。
| 作者 | エリック・カール |
|---|---|
| 訳 | もりひさし |
| 出版社 | 偕成社 |
| 刊行 | 原書1969年/日本語版1976年(2026年で50周年) |
| 対象年齢 | 4歳ごろから(赤ちゃんから小学生まで幅広く) |
| 特徴 | 食べ物のページの穴あき、ページの幅が段階的に広がるしかけ絵本 |
あらすじは、たぶん多くの人がうっすら覚えているはずです。日曜日の朝、葉っぱの上の小さな卵から、はらぺこのあおむしが生まれます。月曜日にりんごを1個、火曜日になしを2個、と曜日ごとに食べる数を増やし、土曜日にはケーキやアイス、サラミにすいかまで食べ過ぎて、お腹を壊してしまう。日曜日に葉っぱを1枚食べて元気を取り戻すと、あおむしはさなぎになり、しばらく眠ったあと、美しいちょうになって飛び立ちます。
子どものころは、ただ「あおむしがいっぱい食べて、ちょうになる話」だと思っていました。でも、大人になって読み返すと、ここには明確なテーマがあります。成長と、変化と、希望です。
小さくて弱いあおむしが、食べて、眠って、まったく違う姿に生まれ変わる。これは「今がうまくいかなくても、人はちゃんと変われる」という、とてつもなく前向きなメッセージだったんです。仕事や子育てで少し疲れているときに読むと、不思議と励まされる。あおむしが葉っぱを食べて回復するくだりなんて、休むことの大切さそのものに見えてきます。
しかも、この絵本はそれを説教くさく語りません。曜日の流れ、1から5までの数、果物や食べ物の名前。子どもが自然に学べる要素をちりばめながら、生き物が姿を変えていく生命のサイクルを、ページをめくるだけで体験させてくれる。学びと物語と希望が、軽やかに同居しているのがすごいところです。
世界中で読まれ、日本でも50年。これだけ愛される理由を、展覧会で原画を見て、自分なりに腑に落ちました。鍵は「色」と「しかけ」です。

はらぺこあおむしといえば、食べ物のページにあいた小さな穴。実はこの仕掛け、エリック・カールが机でホールパンチを使っていたときにひらめいたものなのだそうです。最初の案は本をかじる虫の話で、編集者の助言であおむし(やがてちょうになる虫)に変わったといいます。
穴は、子どもの指がちょうど通るサイズに作られています。あおむしが食べた跡を指でたどれる。さらに、食べる量が増えるほどページの幅も少しずつ広がっていく。読む子どもの手と、物語の進み方が、しかけを通してつながっているんです。グラフィックデザイナー出身のカールらしい、考え抜かれた設計でした。
もうひとつが色です。カールの絵は、薄い紙にアクリル絵の具で色をつけ、それを切り貼りするコラージュで作られています。印刷では均されてしまう絵の具のかすれや筆あとが、原画だとそのまま残っていて、色が呼吸しているように見える。あの赤や緑の力強さの正体は、ここにありました。
そして、この大胆な色づかいには、カールの人生そのものが関わっています。それは記事の後半で。
展覧会で一番おどろいたのが、これです。カールの絵本は一冊ごとに、はっきりとしたテーマを持って作られていました。展示で示されていたテーマを、作品とあわせて並べてみます。
| 絵本 | エリック・カールが込めたテーマ |
|---|---|
| はらぺこあおむし | 希望。食べて、眠って、やがて美しく生まれ変わる |
| くもさん おへんじ どうしたの? | 働くこと。誰に誘われても、黙々と巣を張り続ける |
| だんまり こおろぎ | 愛。鳴けなかったこおろぎが、ある出会いの果てに、初めて音を奏でる |
| さびしがりやのほたる | 居場所。本当の仲間を探して、光をたよりに飛び続ける |
「くもさん おへんじ どうしたの?」は、働くことの物語です。馬や牛が次々に遊びに誘っても、くもは一度も返事をせず、ただ黙々と巣を張り続ける。最後に立派な巣を完成させる姿は、大人になって読むと、なんだか自分の仕事と重なって沁みます。巣の部分は指で触れると盛り上がっていて、目だけでなく手でも楽しめる一冊です。
「だんまり こおろぎ」は、生まれたばかりのこおろぎが主人公です。出会う虫みんなに羽をこすって返事をしようとするのに、どうしても音が出ない。それが物語の最後、一匹のこおろぎに出会ったとき、はじめて鳴き声が響く。出会いがその子の声を引き出す、という意味で、たしかに愛の話でした。最後のページでは本物の鳴き声が鳴る、音のしかけつきです。
「さびしがりやのほたる」は、居場所の物語。ほたるが仲間を求めて、電球やろうそく、動物の目の光に近づいては違う、をくり返し、最後に本物のほたるの群れにたどり着きます。こちらは最後のページでほたるが実際に光る、うっとりするしかけ絵本です。
これらの絵本は、英語では「The Very ~」で始まるシリーズとして親しまれています。並べてみて、はっとしました。テーマだけでなく、しかけも一冊ずつ違って、結果として読者の五感に訴えてくるんです。
| 絵本 | しかけ | うったえる感覚 |
|---|---|---|
| はらぺこあおむし | 食べ物の穴あき、広がるページ | 見て、さわって |
| くもさん おへんじ どうしたの? | 盛り上がって指で触れる巣 | さわって |
| だんまり こおろぎ | 最後のページで本物の鳴き声が鳴る | 聞いて |
| さびしがりやのほたる | 最後のページでほたるが光る | 見て |
読む子どもが、指でさわり、音を聞き、光を見る。絵本が一方的に語るのではなく、子どもの体をそっと巻き込んでくる。カールが「五感シリーズ」と銘打ったわけではないようですが、一冊ずつ仕掛けを工夫し続けた結果、こうなった。この積み重ねこそ、長く愛される理由なのだと思います。
展覧会では、思わず笑ってしまったコーナーもありました。ありえないことばかりを描いた絵です。ねずみがねこを連れて歩いていたり、魚が鳥かごの中にいたり。常識をくるっとひっくり返すこの遊び心は、子どもよりむしろ大人に効きます。
この「ありえなさ」を楽しむ感覚は、絵本「ごちゃまぜカメレオン」にもつながっています。ほかの動物にあこがれて体の一部をどんどん取り込み、最後はぐちゃぐちゃになってしまうカメレオン。自分のままがいちばん、というメッセージを、笑いながら受け取れる一冊です。
ここからは、実際に展覧会へ行って深く知れた話です。はらぺこあおむしのあの色が、どこから来たのか。会場を回って、ようやく腑に落ちました。
エリック・カールは1929年生まれ。少年時代をドイツで過ごしました。当時のドイツでは、ピカソやパウル・クレー、カンディンスキーといった画家たちの作品が「退廃芸術」とされ、公には見られないものになっていました。
そんな時代に、ある美術の先生がこっそりと、これらの絵の複製を見せてくれたのだそうです。その鮮やかな色彩に、少年カールは衝撃を受けた。後年の、あの大胆な色づかいの原点が、禁じられた絵との出会いにあった。それを知ったとき、はらぺこあおむしの赤や緑が、急に重みを持って見えてきました。
心に残ったのが、絵本「えをかくかくかく」にまつわる話です。これは、画家フランツ・マルクが描いた「青い馬」へのオマージュなのだとか。馬は青くたっていい。現実とは違う色で描いてもいい。そんな自由を子どもに手渡す一冊です。
「ちいさいたね」の展示では、絵の具を霧のように細かく飛ばす技法が紹介されていました。あの繊細な質感は、こうして生まれていたのかと納得します。一枚の絵の裏に、気の遠くなるような手仕事がある。原画の前に立つと、それがまっすぐ伝わってきました。
地味だけれど一番好きだったのが、このコーナー。カールが制作のときに着ていた作業用の上着と革靴が展示されていました。これを身につけることで、仕事に向かう気持ちが整ったのだといいます。世界中で愛される絵本も、こういう小さな習慣の積み重ねから生まれている。なんだか、勇気をもらいました。
ここからは、実際に行ってみたい人へ向けた情報です。今回の展覧会は、はらぺこあおむしの日本語版50周年を記念した大回顧展で、約180点が並びます。原画だけでなく、グラフィックデザイナー時代の仕事や、制作に使ったコラージュの素材まで見られるのが見どころです。
そして大事なのが、これは巡回展だということ。東京で見逃しても、このあと福岡と大阪に来ます。
| 会場 | 都市 | 会期 |
|---|---|---|
| 東京都現代美術館 | 東京・清澄白河 | 2026年4月25日〜7月26日 |
| 福岡県立美術館 | 福岡 | 2026年10月23日〜12月20日 |
| あべのハルカス美術館 | 大阪 | 2027年3月20日〜5月9日 |
私が行ったのは東京会場です。東京の基本情報をまとめておきます。
| 観覧料 | 一般2,300円/大学・専門・65歳以上1,600円/中学・高校生1,000円/小学生以下は無料 |
|---|---|
| 開館時間 | 10:00〜18:00(入場は17:30まで) |
| 休館日 | 月曜(5月4日・7月20日は開館)、5月7日、7月21日 |
| 所要時間の目安 | じっくりで約1時間30分 |
| チケット | 日時指定制(事前予約がおすすめ) |
展示をていねいに見て、だいたい1時間半でした。ただ、原画の前で立ち止まったり、写真を撮ったり、グッズ売り場でじっくり選んだりすると、あっという間に2時間近くになります。時間に余裕をもって行くのがおすすめです。
会場の東京都現代美術館は、ベビーカーでも回りやすい造りでした。小さな子ども連れの家族も多く、肩ひじ張らずに楽しめる雰囲気です。展示の解説が多言語にも対応していたのが印象的で、誰でも入りやすい配慮を感じました。小学生以下は観覧無料なので、家族で行くハードルも低いです。
会場には写真を撮れるスポットもあります。なかでも目を引いたのが、大きな青い月。これは絵本「パパ、お月さまとって!」がモチーフになっています。パパが娘のために長いはしごをのぼって月をとりにいく、あの幻想的なお話の世界に、自分が入り込めるようになっていました。
展覧会の楽しみといえば、最後のグッズ売り場。ここがまた、見事に物欲を刺激してくる空間でした。
図録も魅力的でした。表紙は、はらぺこあおむしが食べたものにちなんで、緑(はっぱ)、赤(りんご)、黄色(オレンジ)の3色展開。出品作がオールカラーで載っていて、年表や全絵本リスト、専門家のエッセイまで入っています。会場の余韻を家に持ち帰れる一冊なので、迷ったら買って後悔しないと思います。
原画を見たあとは、無性に絵本そのものが読みたくなります。はらぺこあおむしには、実はいくつかの版があって、誰が読むかで選ぶと失敗しません。
| 版 | 特徴 | こんな人に |
|---|---|---|
| 通常版 | 穴あきのしかけつき、標準サイズ | まず一冊そろえるなら |
| ボードブック版 | 厚紙で丈夫、小さめ | 自分でめくる0〜2歳に |
| ビッグブック版 | 通常の約4倍の大きさ | 読み聞かせ、贈り物に |
はじめての一冊なら、しかけを楽しめる通常版が間違いないです。まだ本を乱暴に扱う年ごろの子には、丈夫なボードブック版。プレゼントや読み聞かせの場では、大きなビッグブック版が映えます。古本でも状態の良いものがよく出回っているので、まずは中身を確かめたい人はメルカリで探すのもありです。
- はらぺこあおむしのテーマは何ですか
- 成長と変化、そして希望です。小さなあおむしがたくさん食べて、さなぎになり、やがて美しいちょうへと生まれ変わる。今がうまくいかなくても変われる、という前向きな生命の物語です。
- はらぺこあおむしの対象年齢は
- 出版社の偕成社では4歳ごろからとされています。ただし絵とリズムが単純で、赤ちゃんから小学生まで幅広く楽しめます。曜日や数を学びはじめる時期にも向いています。
- なぜ食べ物のページに穴があいているのですか
- 作者エリック・カールが、机でホールパンチを使っていたときに思いついた仕掛けです。穴は子どもの指が通るサイズで、あおむしが食べた跡を指でたどって遊べます。食べる量が増えるほどページの幅も広がります。
- エリック・カール展の所要時間はどのくらいですか
- じっくり見て1時間半ほどが目安です。写真を撮ったりグッズを選んだりすると、2時間近くになることもあります。
- 子連れ・ベビーカーでも大丈夫ですか
- 会場の東京都現代美術館はベビーカーでも回りやすく、小さな子ども連れの家族も多くいました。解説は多言語にも対応しています。小学生以下は観覧無料です。
- 東京のあとも開催されますか
- 巡回展です。東京のあと、福岡県立美術館(2026年10月23日〜12月20日)、あべのハルカス美術館(2027年3月20日〜5月9日)でも開催予定です。
はらぺこあおむしは、子どものための絵本だと思っていました。でも、テーマが「希望」だと知り、あの色が禁じられた絵との出会いから生まれたと知り、五感に語りかける仕掛けの工夫を知ると、まるで初めて読む本のように見えてきます。大人になった今こそ、もう一度ページをめくってほしい一冊です。
展覧会に足を運べる人は、ぜひ原画の前に立ってみてください。東京会場は2026年7月26日まで、そのあと福岡と大阪へ巡回します。むずかしければ、家で絵本を開くだけでも十分です。あの小さなあおむしが、きっとまた何かを連れてきてくれます。





